その昔、水木しげる少年が毎日のようにのんのんばぁに連れられて、有難いお説教を聞きながら眺めては異界へのインスピレイションをかきたてられたというお話で有名な、「正福寺の六道絵(地獄極楽絵)」から、まずお話を始めましょう。
「六道絵」は、地獄を描いたもの3枚、極楽を描いたもの1枚からなる4枚構成の続き絵です。絵は、人が死してより極楽に到るまでに歩む六つの道(罪業の道)を説話的に描き、道徳を説いています。目の当たりにすると、その迫力と恐ろしさに思わず敬虔な気持ちを覚えます。私のような人間は時々ここを訪れた方が良いのかも知れません。
さて、その「六道絵」ですが、どこへ行けば見ることが出来るかといえば、境港の名刹、曹洞宗巨嶽山「正福寺」を訪ねればご覧頂けるはずです。ただし、お寺に事前にご確認下さい。
こちらのお寺は、「六道絵」のほかにもいろいろと興味深いものがあるのですが、それは次章で詳しくお話しましょう。
正福寺は往事境村(瀬崎)に在り、代台寺と称する真言宗の大刹でありました。
天文の大洪水(1535年頃)にて罹災、寺号を吉祥寺と改め相続しましたが、元亀年間(1570年頃)尼子・毛利の合戦にて全焼。
以後草庵を結び幾星霜、時に上道村の元達和尚が貞享年間に(1686〜88)寺を現在の地に移し、米子総泉寺三世禅室珍目大和尚を請し開山とし曹洞宗に改宗、巨嶽山正福寺と号し今日に至ったのであります。
兆殿司(明兆1352〜1431)は室町時代初期の画僧。京都東福寺の殿司の役にあったので兆殿司といわれました。
龍を描けば天に飛び、不動明王を描けば火焔が燃え立つと言われる強い筆致が特徴で、正福寺には兆殿司作といわれる赤達磨一幅が寺宝として伝わっています。
正福寺の場所は下の Google Maps をご覧下さい。この地図は優れもので、マウスのドラッグで場所を自由自在に動かしたり、左上のスケールで拡大縮小したり、右上のボタンで衛星写真に切り替えたりいろいろ出来ます。
ぐりんぐりんとお試し下さい。